【山崎の戦い】って?
天正10年(1582年)本能寺の変をおこした明智光秀と、光秀を迎え撃った羽柴秀吉の戦い。天王山を先に制したことで秀吉が勝利した。織田信長亡き後の天下を決めたこの戦いにちなみ、勝負を決する分岐点を「天王山」とよぶようになった。(大山崎町観光ガイドマップより)
今日は天王山に登ってみよう!
JR山崎駅から踏切を越えて室町時代にこの地に隠棲した山崎宗鑑の句碑の前を通って…。
宝積寺から登るコースと大山崎山荘美術館(休館中)の横を通って登るコース。大山崎山荘美術館コースから登るほうが楽と聞いたので今日はそちらを選択。
でも宝積寺が気になるのでコースの合流地点から少し宝積寺まで戻ってちょっとお参り。さぁ、目指すは、"いざ天王山!"きれいな橋を越えて登りやすい道が続きます。大山崎町の方が手入れして下さっているのが色々な所でわかります。
青木葉谷展望台広場に(5合目くらい?)着きました。三川と大阪方面が見えます。あべのハルカス?絶景スポットの広場にはベンチがいくつもあります。ここでゆっくりしてから先へ進みます。「旗立松」に着きました。士気を高めるために松の木に旗印を揚げたことからこの名前がついたそうです。旗立松展望台から
景色を堪能したので、さぁ登ろうと少し行くと…大きな陶板画「秀吉の道」が設置されているのが目に入りました。これは秀吉の天下取り物語が描かれ(6枚)ていてコースに沿って歴史を追えるようになっています。
しばらく登って近道コースで「十七烈士の墓」の前を通ります。
ここには1864年禁門の変に敗れて自刃した尊王攘夷派の武士が祭られています。三古社の前を通って「自玉手祭来酒解神社」へ。この本殿の手前に建つ神興庫は現存する日本最古の板倉造で国の重要文化財に指定されているそうです。(素通りしてしまった💦)…もう少しで頂上…。
天王山山頂に到着!(標高270.4m)かつて羽柴 ( 豊臣 )秀吉が建てたという城跡で、山頂付近には礎石などや井戸跡が残っています。平らな広い場所が多く、山頂からは絶景を見ることはできませんが、色々な所にベンチがあります。ベンチに座っておにぎりをパクリ!頬を撫でる風が爽やかで思わず「しあわせ〜!」
下りは早いです。あっという間に酒解神社のニの鳥居まで下りてきました。(旗立松の展望台のある手前)この先は登ってきた道ではなく観音寺(山崎聖天)の方に降りて行くことにしました道も広くて下りやすいです。観音寺の前を抜けて鳥居をくぐって山崎聖天に寄って振り返ると登山口の標識がありました。道なりにしばらく行くとJRの踏切に出ました。
近くには文化遺産の「聴竹居」(大正~昭和の建築家・藤井厚二が手がけた自邸)があります。
今日は休館で入れなかった大山崎山荘美術館(クロード・モネの睡蓮を展示)はどの季節に行っても素敵です。
《「聴竹居」と「大山崎山荘美術館」は、以前行った時の写真です。》
大山崎は歴史が詰まった町という感じです😊